エゴイズム

誰でもエゴはある。

それを否定するつもりはない。



しかしエゴにしか居場所がない人は

好きになれない。


自分は何でもできる。

自分が正義。

他人が理解できないのは、頭が悪いから。



完全な天動説。

世界は自分を中心に回っている。



そんな人と毎日顔を合わせ、自慢話しか

しない。

そして何を言おうが、しようが否定。


もうたくさん。



人づきあいは不得意でないが、そんな人

といることは疲れるし、嫌悪感すら覚える。


目を覚ませと言いたいが、バカに付ける

薬はない。



昇進できずへこんでいたことに同情し、

別の世界に誘ったことを後悔する。


そんなおバカとはフェードアウトして、

さよならするかな。



と考えるこのごろ。

人生がイヤになるとき

幸せって何だろうかと考えることはある。

 

あいつはロクに仕事もしていないのに昇進した。

なんで給料が倍以上違うのか。

なんでこんなヤツに命令されなきゃいかけないのか。

 

全部会社系になったなぁ…

 

社会的に地位が上で、給料も高い。

それがうらやましく、不幸だと思っていたし、今でも思うことはある。

 

自分に人生がつくづくイヤになる。

 

でも、自分が幸せだと思って生きている人はどれぐらいだろう。

 

そもそも幸せって何か。

自分思うところでは、自己の思いがかなうこと。

 

自分の願いがかなえば幸せなら、他人と比べること自体が間違っている。

他人がどうであれ、自分の幸せに関係はない。

 

そうは思ってもなぁ…

 

 

 

 

うとうとしていて夢をみた。

 

同期入社で2つ下。

ほとんど頂点まで昇進したという話を聞いている。

大学におさまった旦那が、青山の施設(なぜ青山という地名が出てきたのか分からないが)に展示しているという。

その旦那を車で迎えに来た。

展示物は会社の物だが、もういらないので大学に引き取る。

どこに住んでいるのかを尋ねると、前にも行った川崎の西隣にあるマンションに住み続けている。

実際には、以前に行ったマンションは横浜にあったが。

 

そこで目が覚めた。

 

また寝てしまった。

今度は同じ布団で寝ていた。

何かを話そうとして、目が覚めた。

 

少し息子と話して、また寝てしまった。

 

どこか分からないが、夢によくみる坂道の曲がり角。

私が歩いていたら、自転車をおして歩いているところに出会った。

何をしているのかと聞けば、以前に付き合いのあった人を待っていると言う。

 

彼女とは6年の付き合いの後、婚約し、式場まで予約していた。

しかしその途中で両親が反対しだした。

それが原因で心が疲弊し、身体症状まで現れた彼女を理解してあげられなかった。

結局別れることになり、数日間は何もできず、ただ部屋で呆然としていた。

残ったのは婚約指輪のローンだけだった。

その後の話は別の機会にまわす。

 

脱線したが、そこに彼女が帰ってきた。

私が勧めた資格を取り、既に結婚していると聞いていた。

 

彼女の住まいは、入社したときのマンション。

既にオートロックの番号も忘れている。

彼女らについて入り、部屋のドアを開けた。

 

50㎡以上もある1Kで、楽器を持った多数の男が、ヤク中のような目付きで壁にもたれかかっている。

向かい側でひとりひたすらエレキギターを磨いている男が旦那。

どういうわけか、写真で知っていた。

 

そこで目が覚めた。

 

彼女との結婚と昇進を逃した。

何度となく「人生の敗者」とつぶやいた。

 

債務超過とも言える借金を除けば、息子との生活に不満はない

と言えばウソになる。

ただ、それらの過程がなければ息子との出会いはなかった。

仕事以外の人とのつながりもなかった。

ひょっとすると「人生の敗者」でないのかも知れない。

三四郎

始まりは、息子の夏休みの宿題に三四郎の読書感想文があり、ひと通り読んだらしい。

しかし、何を言いたい小説なのかさっぱり理解できないと言う。

 

読書嫌いの私は、当然、漱石の長編など読んだことはない。

息子に三四郎を中心として、どんな小説なのか要点だけ聞いた。

 

主な登場人物は、美人の美穪子、三四郎の友人の与次郎、あとは与次郎の妹でよし子、教師数人、画家、爺さん、他数名。

 

三四郎は九州の田舎から東京の大学に入った純真な青年。

与次郎は東京育ちで自分を意思をはっきりと示せる人。

美穪子は狐顔の秀才で謎の人。

 

三四郎与次郎は美穪子に好意を抱いている。

 

美穪子は三四郎に選ばせた香水をつけている。

あるとき、三四郎美穪子は空を眺めていた。何かに足をとられ、美穪子が三四郎に倒れかかる。そして「stray sheep」とつぶやく。

 

またあるとき、三四郎美穪子と画家の展覧会に行き、与次郎と出くわす。しかし三四郎は美穪子が与次郎を避ける姿をみて、美穪子に嫌悪感を抱く。

 

ところがどういう訳か、美穪子は三四郎が帰省している間に見知らぬ人と結婚する。その見知らぬ人は、よし子と結婚すると噂されていた男。

美穪子は三四郎の気持ちをもてあそんだことを後悔した。

 

つまりは三四郎も与次郎も失恋した。

 

というのがあらすじらしい。

前にも書いたが、私は内容や話の順序は当然知らない。

これが正しいのか間違っているのかすら分からない。

 

で、感想は?と息子に聞くと、何が何だかさっぱり分からないと言う。

大学生の心境を中学生である自分には理解できるはずもないらしい。

そもそも、なぜこんな小説を課題にしたかが疑問だと言う。

 

まあそうだろう。

大学生の微妙な心境をちゅうぼうが分からないというのは、ある意味正しい。

 

私の経験談(というより失敗談)を交えながら、美穪子が三四郎の腕の中で「stray sheep」と言った意味を考えさせた。

 

美穪子は何かに迷っていることを三四郎に伝えたかったのではないか。

しかし三四郎は、美穪子が何を迷っているか理解できなかったのではないか。

最後に美穪子が三四郎の心をもてあそんだと思っているのはなぜか。

 

ここまでヒントを出せば、ちゅうぼーでも何か分かるだろうと思った。

しかし、うーんというばかり。

 

恋に無頓着なのは父に似たのかも知れない。

 

そこから人生論にまで話は移っていったが、それはまたの機会に。

アメブロが消えた

せっかく書き貯めたブログが消えた。

 

アメブロはケチが付いたのではてぶろに変更。

まあ、アメブロは足がついているのでいい機会かな。

 

 

このブログはグチのはきだめ。

だから誰に読まれれたいとも思っていない。

FBやTwitterにも書けないし、書きたくもない。

 

 

早速今日のグチというか、よく分からない分類。

 

50を過ぎてのかまってちゃん。

人には自己顕示欲のあることは否定しない。

 

ただその程度が問題。

 

FBやHPに

「自分はこんなにすごいことをしてるから器用でしょ」

「他の人にはできないことだから褒めて」

ばかり。

 

知らないことでも知ったフリ。

おかげで道具、器具は壊し放題。

 

他人がしたことでも、あたかも自分がしたように言う。

本人が聞けば、明らかにウソだと分かるのに。

 

そして、人を踏み台にする。常に上から目線。

でも自分の中では順序があり、自分より上には言い分をころころ変えてでも話を合わすせる。

 

そういうことでしか自分の居場所を見つけられない。

 

バカじゃない?

 

50にもなれば、人の期待の応えると自然に他の人は付いてくる。

縁の下の力持ち。

自分なんて何もやってない。

ただ手助けしただけ。

 

いくつになっても、常に勉強。

これが当たり前じゃない?

 

もうこんなヤツとはやってられない。

他の人には悪いが、ほぼ限界。

 

50を過ぎたかまってちゃんには、哀れすら感じる。